Ⅿ7級の誘発地震、3年後も 東大助教が警告

 茨城県で16日、震度5強を記録するなど、東日本大震災は発生から1ケ月たっても大規模な余震や、誘発の可能性がある地震が東日本一帯で多発。研究者は、過去のマグニチュード(Ⅿ)8級巨大地震では、誘発されたとみられるⅯ7級の地震が本震から遠く離れた場所で3年以上後でも起きていると警告する。
 東大地震研究所の大木聖子助教などによると、東日本大震災と震源域が近く、同様に津波被害をもたらした1896年の明治三陸地震(Ⅿ8.2)では、約2ケ月半後に岩手、秋田県境付近で「陸羽地震」(Ⅿ7.2)が発生。明治三陸地震の犠牲者は約2万人で、陸羽地震は約210人。
 東海・東南海地震が連動したとされる1854年の「安政東海地震」(Ⅿ8.4)では、約10ケ月半後に遠州灘でⅯ7.0~7.5の最大余震。その4日後に発生した“首都直下型”の「安政江戸地震」(Ⅿ7.0~7.1)は誘発地震の可能性があり、7千人以上が犠牲になったとみられる。
 さらに東海地震の3年余り後に死者340人余の「飛越地震」(Ⅿ7.0~7.1)が富山、岐阜県境で起きた。
 1944年の東南海地震(Ⅿ7.9)では、誘発されたとみられる「三河地震」(Ⅿ6.8)が37日後に愛知県蒲郡市付近を震源に発生、本震の1223人を超える2306人の死者が出た。
 大木助教は、東日本大震災の余震や誘発地震も阪神大震災(Ⅿ7.3)に匹敵するⅯ6~7級が頻発していると指摘。「いつ、どこで大きな余震や誘発地震が起きるかは現在の技術では分からない。『もう安心』と思い込まずに用心してほしい」としている。